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(勝手に)ART-SCHOOLやSPITZやGRAPEVINEの楽曲を全曲解説するBLOGです。
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『惑星のかけら』

スピッツ,スピッツ,草野正宗,長谷川智樹
ユニバーサルJ
(2002-10-16)

 
スピッツ史上、最初で最後の暴力的なグランジアルバム。

前作の反動から再び、4人組としてのバンドサウンドに立ち返った彼らはシューゲイザー色を薄め(と言っても終盤はかなりシューゲだが)、代わりにグランジ的な荒々しさを全面に押し出した。しかし、その一方で究極のドリームポップやギターポップもある、と言ったオルタナとしての触れ幅が大きい野心的な作品でたくましい。

タイトルトラックである「惑星のかけら」から始まり、SF的なサイバーテクノポップ(シンセに起用されたのは、まさかの当時、解凍期であったP-MODELのキーボーディストのキーボード妖怪こと、ことぶき光!!)とギターポップの折衷と言える異色の曲「リコシェ号」で終わるこのアルバムはスピッツの中で、最も「無理やり」世界に突撃していこう、と言った感じのアルバムだ。

相変わらず、詞世界は閉じてはいるが、むしろその閉じた感覚を開き直っていて、君を引き寄せて飲み込んでやろう、と言った暴力性が見られる。性的な歌も、今までのおどけた感じや頼りない感じではなく、明らかにサディスティックさが増している。もちろん、それが妄想青年、草野マサムネの本質であるのは言うまでもない。

今までよりも、強引にトリップさせる感が強いこのアルバムは1stからの集大成でもあり、超初期のスピッツを考察する上で決して欠かせない。


裏ジャケは明らかにMy Bloody Valentine『Isn't Anything』のジャケのイメージを転用している。内ジャケのトイレの便器の中にいる金魚も不気味で良い。また、サウンド的にも終盤になるにつれてマイブラからの影響を色濃く打ち出している。その上にスペース・ロック的なサイケもある。


最も力強くカオスティックなこの作品でマサムネは2ndの不発を払拭してやろう、と半ば強引にシーンに躍り出たが、相変わらず売り上げは伸びなかった。

どんどん不安感が増してきた彼らは、それを踏まえて次作『Crispy!』で完全ポップ宣言を打ち立てたが、どうにも彼らには無理しているようにも見えた。
個人的には、この3rdまでを超初期スピッツと呼んでいる。マサムネ自身も自分の詞世界の真髄は、この3rdまでで出し切った、としておりこれ以降はサウンドも詞世界ともに異なるアプローチをしかけていくことになる。
92年9月リリース(『オーロラ〜』の半年以内にリリースされている)。
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『名前をつけてやる』

スピッツ,草野正宗
ユニバーサルJ
(2002-10-16)

 
スピッツの超初期の名盤にして、彼らが打ち立てて来た歴史の中で未だに彼ら自身でさえ、越えられないのでは、とさえ思える1枚。

まだ彼らが本気で「歌謡シューゲイザー」と言う独自のジャンルを提唱していた頃の作品で、非常にポップながら、マサムネが偏愛していたRideやMy Bloody Valentineと言ったUKのシューゲイザー勢からの影響(個人的にはSlowdiveやAdorableあたりの感覚も強い)がそこかしこに表れている。

超初期の彼らの作品は一様に閉塞感に満ちていて、息苦しさをおどけてぼやかしてる様な切迫感がある。
1stは自分の持つ大衆性と不健康さを自分自身でコントロールし切れてなかった感があるが、本作は、それらを巧く使い分けているので不格好になっていない。
本作の雰囲気を端的に表すと「ノスタルジー」と「孤独さ」と「焦燥感」である。


草野マサムネは独創性に満ちた本作で本気で商業的に売れようと奮闘したが、結果的には時代のニーズに合わずセールス的には芳しくなかった。そして彼らは「歌謡シューゲイザー」と言うオリジナリティ溢れた手法を薄めていくことになる。

しかし今作は日本のオルタナ界における紛れもない金字塔の一つであるのも事実だ。
歌謡曲とシューゲイザーと言う異色の和洋折衷は未だに本作がリリースされて10年以上経った現在でも誰も足を踏み入れていない未踏の地である。


アートワークはサイケデリックで、耽美的と言うより、ドラッギーで不気味。
表ジャケのピントがおかしいでぶ猫ちゃんだけでも幻覚症状丸出しと言った感じだが、裏ジャケのメンバーの写り方も強烈だ(ちなみにこの手法はART-SCHOOLが「フリージア」のジャケで借用している)。
内ジャケもサイケデリア満載で、「プール」の項の蜘蛛も不気味だが「ウサギのバイク」〜「日曜日」の項の幻覚剤が効きすぎているようなアートワークもあまりに秀逸だ。

サウンド面では田村のベースがとても秀逸。決してメロディーを殺さずに、動き回る強かなベースラインは田村の特徴的な長所だが、このアルバムは他のどの盤よりもそれがすごく活きている。ベーシストはゼヒ聴いておくべき。

この時期のマサムネはROCKIN'ON JAPAN誌において、「どうせ死んじゃうんだし綺麗に生きよう、みたいな感覚」と発言している。せめて綺麗にありたい、そう願ったスピッツのダーティーでクリーン、アンビバレントな名盤。

91年11月リリース(1stの約半年後)。
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『スピッツ』

スピッツ,草野正宗,塩谷哲
ユニバーサルJ
(2002-10-16)


スピッツのデビュー盤。

Creation Recordsを意識したシンプルかつ、意味深なヒトデのジャケットが良い味を出している。1ヶ月でレコーディングが行われ、収録曲の半分はアマチュア時代からの曲。アマチュア時代からビートパンクから「和」の要素を強調して抽出していた面もある彼らだが、このアルバムの歌詞カードも縦書きで書かれているあたり、メジャー以降もその方法論は捨てないといった気概のようなものも伺えるかも知れない(これは次作『名前をつけてやる』でも同様)。

全体的な雰囲気としてはデビューアルバムに関わらず、他のアルバムに比べると印象が薄めではあるが、超初期スピッツの本質を上手く捉えたアルバムになっている。そして、同時に、デビューアルバムにも関わらず世界観が非常に閉じている。まさしく「2人で鍵かけた小さな世界」のこと、ひどく歪んだ性愛のことを歌い切っている。


草野マサムネの「一見、爽やかなポップ・ソングに凄まじい猛毒を潜ませることで嫌でもトリップさせる」スタイルは既にこのアルバムから確立されていている。

バンドブーム全盛期な中、スピッツはあくまで、ポップなままダウナーな世界を提示し切ることで、シーンにアプローチをしかけた。コアな音楽ジャンキーでありながらも、「野望はない」とか「元気に生きるのよりもフワッと死にたい」などと豪語(??)していた草野マサムネは時にFlipper's Guitarなどに例えられもしたが、本人は「(自分たちがパーフリに)申し訳ないから」とそれを否定。独自の路線を突き進んでいく。

大正期のダダイズムやアイヌ民族の伝承などに影響を受けていた当時のマサムネは、執拗なまでにアルバム全体に擬音語を織り交ぜている。それをポップととるか、不気味さを助長させるととるかはリスナー次第と言ったところか。

この時期の発言として、面白いのは「詞の内容からして内向的だから外に訴えるもんじゃない、って思いがある。サウンドの違いは暗いオナニーなのか派手なオナニーなのか、それだけ」がある。

この時は、後の大ブレイク=大衆を巻き込んだオナニー(それは既にオナニーではなくセックスであるが)ソングを産んでしまえるとは本人達含めメディアも評論家も誰もが予感していなかった。

91年3月リリース。

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『ヒバリのこころ』(ミニアルバム)

スピッツ
インディペンデントレーベル
(1990-03-21)

 
カセット(『SPITZ』、『恋のうた』など)やソノシート(「鳥になって)といった自主制作音源を発表していたインディー期のスピッツで現代に至るまで、マニア/コレクター品ではない正真正銘の正規盤として見れるのは、このアルバムからだろう。

スピッツの結成〜躍進の大きなきっかけとなった新宿ロフト関連のインディー、ミストラル・レーベルからリリースされたこの『ヒバリのこころ』は、端的にメジャー以降とは大きく異なる2点が挙げられる。

1つは、メジャー以降、マサムネが殊更に強調した(洋楽、特に英国のCreation Recordsを意識して)アーティスト(つまり自分自身)の写真をジャケットに一切つかわないという基本姿勢が、さすがにインディーまでは貫かれていないようで、ジャケットには(サイケ風に歪んではいるけれど)普通にマサムネのどアップと他3人が平然と映り込んでいる。やはり「弱い犬ほどキャンキャン吠える」が心情のスピッツでもまだ、インディー期は、それまでの日本のエンターテインメント業界の慣習に反発できなかったのか。

2つめは、サウンド面に未だビートパンクを通過した名残がメジャ=以降とは比べ物にならないくらい残っていることだ。それはタイトルトラック「ヒバリのこころ」を聴いただけで瞭然だ。ネオアコでも(単純な)パンクでもないおかしくも激しい演奏と、さらにおかしくも激しい言葉の魔術で聴く者を魅了するスピッツであるが、このアルバムでは幾分パンクによっている。


しかし、この時点で既に草野マサムネの世界観は発揮されており、その証明にもなるかのように、結果的に「353号線のうた」と「死にもの狂いのカゲロウを見ていた」以外は歌詞やアレンジを少し変えてメジャー以降のディスコグラフィー入りを果たしている(音源化はされていないが後者も実はDVDのボーナス映像でプレイされている)。
既にマサムネの歌詞はストレートに歪つでポップでキュートなのにパラノイアックだ。
もちろん演奏、歌詞、スタイルなどどれをとってもメジャー以降の方が更に磨きがかかっていることは言うまでもないが、スピッツというバンドを紐解く際にこのアルバムが出発点として出されるのも必然であるほどのマサムネの確固たる初期衝動に満ちている。

90年3月リリース。
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